2020/11/29

時々、ぼんやりと考え事をしているときがある。
何を感じたいのか、何を思ったのか。

 

その一瞬の間に何を見出すのか。
それは自分自身が、あるいは話し相手が。

 

 

誕生と成長と死を描いた小説を読んだ。
ひたすらに上質な言葉で、日常の中で死に向かう人とその周囲の人々を語っていた。

 

自分にとって、死とは何だろうか。
また、自分は死をそのままに受け止めることができるのだろうか。

時々、自分は立ち向かっているだろうか、それとも逃げられないでいるだけではないのか、と考える。
あるいは、立ち向かっている様に見えて逃げているのではと。

自分の中に勇気があるのかわからないが、ひとまず自分のできることをし受け止めるしかないのかと、最近は思う。

 

親戚が亡くなると、人が誕生する瞬間を意識すると、成長し老いて行く光景を目にすると、なおのことそう思う。
そして、自分は果たして成長しているのか、自分にとっての成長とは何なのか考える。

 

 

かつて、死を考えその中で生を選択し続けた日々を考えると、
自然な流れの中で死に向かっていくことが、一つの奇跡の様に感じる。
どのタイミングであっても、偶然が生を選んでいたのだと。

また、自ら死を選んだ人々に対して尊敬の念を覚える。
どのタイミングであったとしても、その瞬間偶然や運命に任せず、
自ら死を選んだある種の勇気を。

 

何か、運命もしくは宿命のような物に対して立ち向かうということは、
何か大きなものを失うということでもあるのかもしれない。

それは、人間性のような感情や愛であったり、とても長い時間であったり、
命そのものであったり、何らかの意味そのものであったり。