2020/12/13
痛みで目が覚めて、ロキソニンを歯でくわえたままトイレに行く。
水分を取らなくては、胃に穴が開くと思いながら、飲み込むことを我慢する。
眠気と激しい痛みで、朦朧とする意識の中で、部屋を見渡しながら睡眠時間を考える。
トイレから出て、コップの水とともに飲み干す。
痛みは引かないが、いずれ引いてゆくだろう。
横になりながらハードボイルド映画のワンシーンの様に思えた。
そういう映画の俳優さんは、どんなことを考えながら演じているのだろうか。
以前はサイモン&ガーファンクルやBilly Joelをよく聞いていた。
それしか聞くものが無かった。
彼らの曲を聞くと、その時のことを思い出す。
混沌とした、鬱屈とした時代。
周囲は自由を求め、僕は何か信頼できるつながりを求めていたように思う。
時は経ち、周囲のつながりは希薄になっていった今、
改めて自分が求めているものは存在しないのかもしれないとすら思う。
時々自分自身で忘れているときもあれば、忙殺されて考えられないときもある。
忘れることが生き抜くために必要なのかもしれないが、
それは、心を殺すということなのかもしれない。
Honestyを聞き、もう一度、その時自分が求めていたものを想像する。
そして、手に入ったもの、手に入らなかったもの、その後姿を思い浮かべる。
直近で起きたことを、思い返してみると、それなりにハードな出来事だったと気づく。
これまでもハードボイルドな出来事はあったが、
これからもそのような出来事がいくつも待ち受けているのだろうと思う。
そのたび僕は自分の人生と、誰かの人生を比べ、まだ大丈夫と思うのだろう。
周囲に気を使いながら、自分一人で解決してしまうのだろう。
それは、さみしいことなのかもしれない。
が、物理的な自分が生き抜くために必要なことなのだろう。
物理的な生存がどこまで大切なのかわからない。
ただ、後姿がそう語りかけてくる。
これまでもそうだったように、これからも後姿が語り掛けてくるのだろう。
旅行のために買ったカバンが放置されている。
僕の指が動くようになるのはいつだろうか。
旅行は電車で行くとしても、しばらくバイクに乗れないのかぁ。
来年にはいきたいなぁ。