2022/07/04

わすれてしまう

 

美しい景色を見たとき、
素晴らしい体験をしたとき、
いろんなときに、いろんなことを思い出す。

 

真っ暗な夜の海で僕はコンクリートで塗り固められた岸壁から水平線を眺めている。
水平線には、ぽつぽつと船の明かりが浮かび、その中でもひときわ大きな船が、
まぶしい1点の白い光をつけて、ゆっくりと進んでいる。
海は黒々としていて、その船へと続く、白い明りの道ができている。
ちゃぷちゃぷと岸壁に波が打ち寄せる音と、遠く低く船の音が聞こえる。

 

そんな夢を見た。

 

忙しさの中で、そこにある小さくとも大切なことを忘れてしまう。
せわしない生活の中で、小さくとも大切な物事を注意深く扱うことは、
道端を歩く虫やカニをよけながら車を運転するのと同じほどに難しい。

長くそのようなことが続くと、道を歩く小さな命などなかったのではないかと忘れてしまうことがある。

自分は今までどれだけの虫たちを踏んづけてしまったのだろうかと、
ふと思ったりする。

忙しさは、それら後悔を忘却の彼方へ飛ばしてしまうのに十分で、
そんな言い訳をしてしまう自分を残念に思う。

 

時々反省して、小さな物事を忘れないようにしたいと思った。

 

2021/05/20

雨が降っている。

雨が降り続く中、雨粒の景色を見るために外に出た。

 

歩くうちに何か様々なことを考える。

自分の事、他人の事、過去の事、未来の事。

 

家の近くの喫茶店には寄らずに、少し遠くの喫茶店を目指す。

少しさびれたショッピングモールの吹き抜けは、かすかに外の雨音を反射し、

あまり人の居ないモールの中にこだましている。

 

人々の話し声、モールの中を流れるBGM、

そのすべてが空洞の雨音の中に溶け込むようにこだましていた。

それはプールサイドの休憩室の様に、自分を漂白していく。

 

 

ここ2‐3日、濃厚な灰色の夜を過ごしている。

暖色の小さな明かりだけで照らされた雑然とした部屋は、

糖度の高いリンゴを10倍に煮詰めた様に心を侵食していく。

この出来損ないの傭兵の様な生活を送るには人生は長すぎるのかもしれない。

本でも書いて過ごそうかとふと思う。

 

 

自分の心の奥深く、内側の方から、漂う声を拾い集め、

1編の詩になることがあれば、それがすべてになるのかもしれない。

2021/05/11

海に行きたい。

海をぼんやりと眺めていたい。

 

生きていくことと生活することは、別なことはわかっている。

居心地の良さを求めることは、必ずしも生活につながらず、

自分の中の相反する感情に戸惑いを覚える。

 

余程、何かを余らせているのだろう。

あるいは何かが圧倒的に枯渇しているのか。

 

時々、わからなくなる。

自分が求めているのは、何なのか。

 

時々、わからなくなることもわからなくなる。

自分に必要なのは、何なのか。

 

心のままに生きるということは、周囲から見れば支離滅裂で、

しかし、その支離滅裂な具合が、心地よくかつ自分を苦しめる。

 

もし、叶うのであれば、どこか誰も居ないところでひっそりと息を引き取りたい。

誰にも邪魔されず、何にも気を遣わず、本能と自然のままに消えてしまいたいと。

 

 

何かを得るということは、何かを失うということである。

何かを失わずして何かを得ることができないのであれば、

何も欲しくないとすら思う。

 

自分にとって自分の何が不要なのか。

不要なものを交換条件として提示したとき、何が得られるのか。

不要なものの交換ですべてが成り立っているというのであれば、

見返りを求めないことこそが真実なのかもしれない。

見返りの無いものこそが真実なのかもしれない。

 

そこをどこまで信じ続けることができるかが、

全てなのだろうと思った。

2021/04/19

昨日、匿名相談に電話をかけ、一連の流れを話した。

その後、祖母にも話し、号泣した。

 

号泣したことにとても驚き、それだけ思いが大きくなっていたことに気が付いた。

今は少し傷心気味だけれども、吐き出して半分すっきりとした。

もう半分は変わらないので、どのように処理していこうかと。

関係は変わらず継続している。

 

自分の心の複雑さと、その心に忠実であることは、時として不思議な出来事を招く。

人はそれを奇跡とも呼ぶし単なる偶然とも呼ぶ。

 

自分が自分のままで居られることとは楽でもあり、孤独でもある。

たまたま何か深さや価値観やタイミングが一致しただけで一喜一憂していてはもたないのも確かかもしれない。

 

そもそも自分の感じていることがまやかしである可能性だってある。

でも、そこに偶然の一致があることが、ただただ嬉しくもあり、苦しくもある。

 

また自分だけではなく相手も同じように感じていること、そこに戸惑いを感じていることは確かで、だからこそ、事が余計に複雑になっているのかもしれない。

 

合わせ鏡の向こう側の景色は、どのような色なのか、探してみたい。

そこに対する興味は衰えず存在していることが素晴らしいと感じている。

 

今はただ、自分の感情に大きく驚き、またその感情の処理の仕方に困っている。

処理する方法はいくらでもある。

捨ててしまうことも、大切にとっておくこともできる。

 

現実的には、動こうと思えば動けるし、留まることもできる。

どちらを選んでも受け止めるものがある。それは確かで、

自分の希望と相手の希望が出そろうまで、今まで通り保留しておきたい。

 

未知の世界に踏み出すことは、常に恐怖や不安が付きまとう。

ただ、大きくなった今、その不安や恐怖を明確に解決する方法を知っているからこそ、迷う。

 

同じならば、いっそ後悔しない選択肢を取りたい。
たとえ予想に反していばらの道であっても。

2021/04/02

このどんよりとした心持ちに、なんと名前を付ければよいのだろうか。

持続的な哀しみと、もう過ぎてしまったものに対するあきらめ、

やるせなさが自分というものの周りをくるりと取り囲み、

僕はその様子を離れたところで傍観しているかのような感覚を持つ。

 

時折、頭痛がする。

大きな感情を前に、自分の非力を感じるような感覚に陥る。

あるいは、体の中を冷たい風が通り抜けるような感覚。

嘆いていても何も変わらないが、今は嘆くこともままならない。

何をしても変えられないことをわかっているから。

 

皆窓ガラスの向こう側に去っていき、一人残されたような孤独感。

真夜中に静かに降り積もっていく雪の様に、心の奥底に堆積していくのを感じている。

 

 

 

 

 

人の心を満たすものは、一体何だろうか。

自分の心を満たすものは、いったい何なのか。

心が満たされないのは、なぜなのか。

そんなことをぼんやりと考えている。

 

2021/03/12

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海はなぜこんなにも輝いているのだろうか。

海面に映る太陽の輝きは、優しく、空は少し霞み、

僕はそれをうまく説明するすべを知らず、

また、何か言葉を発すると何か違ったものになってしまうような気さえして、

躊躇いと無言の時間を過ごしてしまう。

 

 

昨日は、友人と海へ行った。

海岸を歩き、様々なものを見て、様々なものを感じた。

駅の近くの喫茶店で、昼食を食べる。

 

雲や空は、白く青く、海もまた同じ色をして、

境界線があいまいで淡く、ただ決して混ざらず、

山の稜線のはっきりとした様子だけが確かに海と空を隔てている。

 

昼食と一緒にいただいた、檸檬スカッシュのシロップは、重く透き通って

太陽の光を通して黄色い影を落とす。

混ぜても混ざらず、ただ境界線だけが曖昧になっていく様子が、

海と空の様子を美しく写している。

 

海と空も、檸檬スカッシュの炭酸とシロップも、

隣り合うほどに近く、同じように淡い色合いで、

同じような透明感、温度感、質感で、今にも混ざりそうで決して混ざらない。

隣り合っている、海と空、檸檬スカッシュの炭酸とシロップ。

 

隣り合っている様に見えて両方とも、その間には途方もない距離があって、

淡く、ぼんやりとしていても、決して混ざらない。

 

 

そんなことに気づかずに、飲み干すことも、

あるいはあえて飲み干してしまうことも、

できるのだけれども、そうせずに居られることの幸せを、

今はかみしめていたい。

 

 

2021/03/01

3月になって、溜まっていた休日を消化する。

1か月のほとんどが休みで埋め尽くされているスケジュール表を見て、自分は何がしたいのかとふと不安になる。

自分は休みを使いきれるのだろうか、休み中に終わらせておきたいことは何かあったのか、何のための休みなのか。

 

昨日は、空港近くの河原まで行ってきた。

信号待ちをしている車の屋根から立ち上る熱気を見て、春を感じる。
空港沿いの道をバイクで走っていると、轟音を立てて飛行機が飛び立っていった。

外に出るにはちょうどいい陽気で、河原の道の駐車禁止標識の立った道に止まっている多くの車の間にバイクを止めた。

河原は、ピクニックを楽しむ親子連れや、自転車でデートをするカップル、
いかにもな青春を横臥している高校生たち、写真を撮る人、ランニングをする人、
サイクリングを楽しむ人、そういった人たちであふれていた。

 

河原を歩きながら、滑走路を見る。
また1機、飛行機が飛び立つ。
ヘリコプターの音が聞こえる。
飛び立った飛行機は、姿を小さくしながら、大きな弧を描いて南に向かう。

 

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飛行機が飛び立つ様子を写真に収めるカップルが、とても印象的だった。