2021/01/12

ベランダに出て煙草に火をつけると、飛行機の音がしていた。
伊丹空港から飛び立った飛行機は、東の空へと飛び立っていった。
時刻は18時55分。

冬の空は暗く、街と空の地平線は、薄明るく輝いていた。
日の出を待ちきれない人々が乗っているのだろうか。
あるいは薄明かりの中に光を求めていったのだろうか。


室内に戻ると、おなかがすいていることを思い出した。
昼から何も食べていないことに気づく。
あとで干し芋でも食べよう。どこかにあったはずだ。

氷解の感触は、突然の様にやってきた。
自分の中にある何かが解けたような感触がした。
自分の心の中にある何かがふっと解けた感触。
あれは、何だったんだろうか。

今、部屋を見渡せば、さっきまでとても暗かった部屋が明るく見える。
心のままに生きるのは難しい。されど、蒸発するには理由もない。
鬱屈とした、冷たい雪のような感触は解けゆき、
ただそこにあったことを物語る水たまりだけが残っている感触。
おそらくそれはいずれ蒸発してしまう。

書き留めておかなければ。
記しておかなければ。

2021/01/08

年末から年始にかけて様々なことがあった。

 

一つは実家に帰って、実家の少し不自然な人間関係に気づいたことだ。
人は意図せず自分の中に複数の自分を用意していることがある。
その複数の自分を認識することができず、暴走すると、引き戻されてしまうのだろう。
そう思った。

 

二つ、友人と遊んだことだ。
彼はとても繊細であることにはたと気が付いた。
とても有意義な時間だった。
僕は彼と変わらずに友人であり続けるだろう。

 

三つ、さらに友人ができた。
彼女はパラレルワールドの自分と僕は思っている。
言葉にすると違うが、大まかには同じ事を考えている。
きっと積んできた経験も似たところがあるのだろう。
行動原理も似たものがあるのかもしれない。
友人として話をすることで、互いに成長できていると感じている。

 

四つ、自分は何者なのかを考えるようになった。
いまさらなのかもしれないが、これは自分にとって大切なことだと思う。
自分がいいと思うことは何なのか、悪いと思うことは何なのか、整理を進めている。
深く深く自分を分析することで、自分の根本にある不安感を発見できた。
その漠然とした不安感こそがカギだと思っている。今は。

 

そして、今朝のベランダから差し込む光はとても美しかった。

僕は今年も書き続けるだろう。
この瞬間、僕は何を感じるのか、何を思うのか、それを大事にしていきたい。

2020/12/24

冬至の日は素晴らしかった。

何もかもが輝いていた。

1秒1秒を大切にできた気がした。

また、来年もそのような時間が過ごせることを祈りつつ、

また、海から離れていくことを惜しみつつ、電車に乗って帰っていった。

 

 

友人と話をする。

人を観察する。

場所に息づく心を見る。

 

 

外に出ると、今にも雪が降りそうな天気だった。

樹氷の街

中学生の頃の友人が泣いたのを覚えている。

その時もこんな天気だった。

 

 

時に距離感の取り方はとても難しい。

昨日ははっとさせられた。

自分と似ている人だからこそ、そこを突かれると、

「あ゛~もう!君ってやつは!!!」

となってしまう。

 

別に嫌だとか、うっとうしいとか、そういう感じではなく、

心の底からそれを受け入れることができてしまうことに、

戸惑いがあった。

 

以前、愛着という話を聞いていたからかもしれない。

伝えようかどうしようか迷って、時間をおいてから伝えることにした。

その間の時間と言ったら、あ゛~もう!自分というやつは!

 

きっと相手も同じように感じているのだろう。

そして、自分の発した何気ない部分で

「もう、きみってやつは!!!」と思い、
自分ってやつは!!!!と思ってるんだろう。

 

そういう細かな違い、すれ違いが時として面白く、

だからこそ、いずれぱたりと会わなくなるかもしれないことを切なく思う。

きっと同じことを感じているのだろう。

 

ここまで近いと、もはや何か運命的な物すら感じるが、

それは、互いの経緯を含めて互いに許容できず、

だからこそ互いに友達でいることを選んだことを嬉しく思う。

 

 

感受性は時として肉体を殺し、心を生かす。
理性は心を殺し、肉体を生かす。

 

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2020/12/13

痛みで目が覚めて、ロキソニンを歯でくわえたままトイレに行く。
水分を取らなくては、胃に穴が開くと思いながら、飲み込むことを我慢する。
眠気と激しい痛みで、朦朧とする意識の中で、部屋を見渡しながら睡眠時間を考える。
トイレから出て、コップの水とともに飲み干す。

痛みは引かないが、いずれ引いてゆくだろう。
横になりながらハードボイルド映画のワンシーンの様に思えた。
そういう映画の俳優さんは、どんなことを考えながら演じているのだろうか。

 

 

以前はサイモン&ガーファンクルBilly Joelをよく聞いていた。
それしか聞くものが無かった。
彼らの曲を聞くと、その時のことを思い出す。

混沌とした、鬱屈とした時代。

周囲は自由を求め、僕は何か信頼できるつながりを求めていたように思う。

 

時は経ち、周囲のつながりは希薄になっていった今、
改めて自分が求めているものは存在しないのかもしれないとすら思う。
時々自分自身で忘れているときもあれば、忙殺されて考えられないときもある。

忘れることが生き抜くために必要なのかもしれないが、
それは、心を殺すということなのかもしれない。

 

Honestyを聞き、もう一度、その時自分が求めていたものを想像する。
そして、手に入ったもの、手に入らなかったもの、その後姿を思い浮かべる。

 

 

 

直近で起きたことを、思い返してみると、それなりにハードな出来事だったと気づく。
これまでもハードボイルドな出来事はあったが、
これからもそのような出来事がいくつも待ち受けているのだろうと思う。

そのたび僕は自分の人生と、誰かの人生を比べ、まだ大丈夫と思うのだろう。
周囲に気を使いながら、自分一人で解決してしまうのだろう。

それは、さみしいことなのかもしれない。
が、物理的な自分が生き抜くために必要なことなのだろう。

物理的な生存がどこまで大切なのかわからない。
ただ、後姿がそう語りかけてくる。

これまでもそうだったように、これからも後姿が語り掛けてくるのだろう。

 

 

 

旅行のために買ったカバンが放置されている。
僕の指が動くようになるのはいつだろうか。
旅行は電車で行くとしても、しばらくバイクに乗れないのかぁ。
来年にはいきたいなぁ。

2020/12/12

時間ができたのでバイクの免許を取りに行って、こないだ転倒して、

指の骨が折れたので手術をしてきた。

 

痛みはあるが、それほどでもなく、

人は痛みでは死なないことを再認識した。

 

病院の待合室は、窓に面していて、秋から冬へ移り変わる

大きな窓の向こうに、秋の終わりと冬の始まりを告げるような

木立が何枚かの真っ赤な葉を残したまま、風に揺られていた。

 

 

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2020/12/10

時々、思う。

どこまで行っても孤独だと。

どこまで行っても分かり合えないものだと。

 

経験や過去、能力、趣向、考え方の違い、そういったものが邪魔をする。

そして、時として言葉は心を傷つける。

 

 

10年前に書かれたブログを読んだ。

そこには、今必要なものが書かれていた。

10年前の著者は僕と同じ年だった。

 

サウンドオブサイレンス

ざわざわとした揺らめきと、大きな波の中で、静寂を感じる。

 

 

 

考え事をめぐらす時間はとても重要で、

それが人の心を生かすことを、多分僕らは知っている。

 

2020/11/29

時々、ぼんやりと考え事をしているときがある。
何を感じたいのか、何を思ったのか。

 

その一瞬の間に何を見出すのか。
それは自分自身が、あるいは話し相手が。

 

 

誕生と成長と死を描いた小説を読んだ。
ひたすらに上質な言葉で、日常の中で死に向かう人とその周囲の人々を語っていた。

 

自分にとって、死とは何だろうか。
また、自分は死をそのままに受け止めることができるのだろうか。

時々、自分は立ち向かっているだろうか、それとも逃げられないでいるだけではないのか、と考える。
あるいは、立ち向かっている様に見えて逃げているのではと。

自分の中に勇気があるのかわからないが、ひとまず自分のできることをし受け止めるしかないのかと、最近は思う。

 

親戚が亡くなると、人が誕生する瞬間を意識すると、成長し老いて行く光景を目にすると、なおのことそう思う。
そして、自分は果たして成長しているのか、自分にとっての成長とは何なのか考える。

 

 

かつて、死を考えその中で生を選択し続けた日々を考えると、
自然な流れの中で死に向かっていくことが、一つの奇跡の様に感じる。
どのタイミングであっても、偶然が生を選んでいたのだと。

また、自ら死を選んだ人々に対して尊敬の念を覚える。
どのタイミングであったとしても、その瞬間偶然や運命に任せず、
自ら死を選んだある種の勇気を。

 

何か、運命もしくは宿命のような物に対して立ち向かうということは、
何か大きなものを失うということでもあるのかもしれない。

それは、人間性のような感情や愛であったり、とても長い時間であったり、
命そのものであったり、何らかの意味そのものであったり。