2021/04/19

昨日、匿名相談に電話をかけ、一連の流れを話した。

その後、祖母にも話し、号泣した。

 

号泣したことにとても驚き、それだけ思いが大きくなっていたことに気が付いた。

今は少し傷心気味だけれども、吐き出して半分すっきりとした。

もう半分は変わらないので、どのように処理していこうかと。

関係は変わらず継続している。

 

自分の心の複雑さと、その心に忠実であることは、時として不思議な出来事を招く。

人はそれを奇跡とも呼ぶし単なる偶然とも呼ぶ。

 

自分が自分のままで居られることとは楽でもあり、孤独でもある。

たまたま何か深さや価値観やタイミングが一致しただけで一喜一憂していてはもたないのも確かかもしれない。

 

そもそも自分の感じていることがまやかしである可能性だってある。

でも、そこに偶然の一致があることが、ただただ嬉しくもあり、苦しくもある。

 

また自分だけではなく相手も同じように感じていること、そこに戸惑いを感じていることは確かで、だからこそ、事が余計に複雑になっているのかもしれない。

 

合わせ鏡の向こう側の景色は、どのような色なのか、探してみたい。

そこに対する興味は衰えず存在していることが素晴らしいと感じている。

 

今はただ、自分の感情に大きく驚き、またその感情の処理の仕方に困っている。

処理する方法はいくらでもある。

捨ててしまうことも、大切にとっておくこともできる。

 

現実的には、動こうと思えば動けるし、留まることもできる。

どちらを選んでも受け止めるものがある。それは確かで、

自分の希望と相手の希望が出そろうまで、今まで通り保留しておきたい。

 

未知の世界に踏み出すことは、常に恐怖や不安が付きまとう。

ただ、大きくなった今、その不安や恐怖を明確に解決する方法を知っているからこそ、迷う。

 

同じならば、いっそ後悔しない選択肢を取りたい。
たとえ予想に反していばらの道であっても。