2020/11/11
ここに来てから7年ぐらいが過ぎていたことに気が付いた。
カシスオレンジのじわっと混ざりゆく様子を思い浮かべながら気づいた。
妻と付き合い始めて3年間ぐらいの間、僕は妻に何かを求めていたが、
結局手に入れることはできなかった。
どんなに口にしても、どれだけの時間を共有しても、
どんなに長い間手をつないでいたとしても、
どれだけの夜を共にしても。
ただ、いつの日からか、もうそういうものだ、理解されないものだと思っていた。
理解してもらおうとすることで逆に妻に不甲斐ない思いをさせていたということも
口をつぐむ理由の一つになった。
自分の中にある悲しみやさみしさにふたをして、理解されないものだと心の奥底にしまい込んだ。そうする他無かった。
社会では生産性が重視され、個々の思いや感情は不要なものとして切り捨てられる。
そんな感傷に浸る時間があるのなら、もっと稼げと画面がささやく。
声にならない声で。
再認識することになったきっかけはとても些細なことだった。
この人は、感性が似ている。と感じる人が現れたからだ。
その人と話していると、今まで伝わらなかった言葉にならなかったものが、
きれいに言語化され、共感することができる。
ただそれだけで、心の中に沈殿した昔の記憶や思いがかき回され、
より一層自分がぼやけていく。ぼやけた中に自分自身を見つける。
そして、底知れぬ暗闇のなかで、何もない安堵を感じる。